第一部
第6話
「中継機の逆探知と、地形という凶器」
月曜日の午後8時20分。
豊田市の指定車両保管所。ブルーシートに覆われた凄惨な事故車の中で、本多葵はスマートフォンのライトを頼りに、その「黒い箱」に書かれた文字を見つめていた。
【Guest_01(本多)】
『「廃棄」って書いてある。黒い油性マジックの殴り書きだ』
【オペレーター(鳴海)】
『……はいき? それが犯人の残したメッセージですか。海外のハッカーにしては、ずいぶんと泥臭くてアナログな言葉ですね』
【Guest_01(本多)】
『ああ。まるで、工場で不良品の部品を弾く時に書くような文字だ。……この車に乗っていた松平専務は、犯人にとって「スクラップにすべき不良品」だったってことか』
葵は暗闇の中で、ふっと冷たい息を吐いた。
ただのサイバー犯罪ではない。物理的な「モノづくり」の恨みや執念のような、血生臭い感情がこの黒い箱から立ち上ってくるのを感じる。
【Guest_01(本多)】
『御託は後だ。この基板の端に12桁の英数字(MACアドレス)が印字されてる。ここから通信の「発信元」を割り出せるか? どこからこの箱に、衝突のコマンドを送り込んだのか』
【オペレーター(鳴海)】
『……やってみます。数分待ってください』
——名古屋駅の高層ビル、28階。
すっかり人が減ったオフィスで、鳴海弦は愛用のキーボードに両手を置いた。
今朝、自分がローカルPCに退避させた「消されたはずのアクセスログ」の出番だ。
鳴海は使い慣れたターミナルを立ち上げ、黒い画面にコマンドを打ち込む。本多から送られてきた12桁のMACアドレスと、土曜日の午後1時50分という時刻を条件にして、膨大なログの海から該当する通信パケットをすくい上げる。
「(……海外の匿名サーバーか、それともダークウェブの出口ノードか)」
スコスコという静かな打鍵音だけが響く。どんなに偽装していても、必ずIPアドレスの痕跡は残る。
やがて、画面上に1行のログが抽出された。鳴海はその通信の送信元(Source IP)を見て、不審に眉をひそめた。
「なんだこれ。匿名サーバーじゃない。……正規のドメインを持った、国内の巨大なサーバー群だぞ」
鳴海はすぐさまそのIPアドレスの所有者情報(WHOIS)を照会した。
数秒後。画面に表示された「組織名」を見た瞬間、鳴海は全身の血の気が引くのを感じた。
【オペレーター(鳴海)】
『……発信元が、分かりました。信じられない結果です』
【Guest_01(本多)】
『どこだ。ロシアか? それとも中国か?』
【オペレーター(鳴海)】
『違います。犯人が通信を送り込んできたのは……「グローバル・ノブナガ」の、自動運転用・公式アップデートサーバーです』
チャットの動きがピタリと止まる。
【Guest_01(本多)】
『グローバル・ノブナガって、最近トクヤマ精密に「大規模な資本提携」を持ちかけてニュースになってる、あの名古屋の巨大IT企業か? 経済誌じゃ、事実上の乗っ取り(TOB)への布石だって騒がれてるが……どういうことだ。分かりやすく言え』
【オペレーター(鳴海)】
『例えるなら、犯人は自分で爆弾を届けに行ったわけじゃないんです。「郵便局の公式な配達車」に爆弾を紛れ込ませて、車のシステムに堂々と正面から受け取らせたんです』
『ノブナガの公式サーバーからの通信(アップデート)なら、車のセキュリティは一切疑わずに通してしまう。犯人は、グローバル・ノブナガのクラウドOSの深層に侵入できる権限を持っていたことになります』
【Guest_01(本多)】
『なるほどな。だから犯人は、あの土砂降りの日に、わざわざGPSを偽装して車を緑区の「桶狭間」の路地まで誘導したんだ』
【オペレーター(鳴海)】
『……桶狭間? 歴史の見立て殺人だとでも言うんですか?』
【Guest_01(本多)】
『違う。逆だ。犯人は歴史マニアなんかじゃない。あそこが「一番確実に車をスクラップにできる地形」だったから選んだだけだ。道幅が狭く、見通しの悪いコンクリート壁に囲まれていて、逃げ場がない。システムの自動ブレーキをオフにして急加速させれば、絶対にターゲットを仕留められる「物理的な死地」が、たまたま桶狭間だったんだ』
鳴海は震える指を見つめた。
冷徹な地形の計算と、ノブナガの巨大なサーバーを乗っ取るハッキング技術。自分たちは今、とんでもない相手、あるいは巨大企業そのものの暗部に触れてしまったのではないか。
名駅の高層ビルの空調が、やけに冷たく感じられた。