第一部
第4話
「直通回線と非公式ポート」
「はい、ナゴヤ・システム・ソリューション、保守担当の鳴海です」 『愛知県警本部、サイバー犯罪対策課の本多だ』
受話器の向こうから聞こえた低く鋭い女の声に、鳴海は息を呑んだ。 警察? なぜ警察が、この非公開の技術者用ダイヤルを知っている?
「土曜日の午後1時50分、緑区の桶狭間でトクヤマ精密の役員が乗った車が壁に激突した。現場の計器パネルには、システムが沈黙する直前のエラー表示が残っていたよ」 本多と名乗る女刑事は、苛立ちを隠そうともせずに言い放った。 『エラーコード、0xCF。遠隔操作による衝突強制(Collision Forced)。……どういう意味か、あんたなら分かるだろ』
「……っ!」 鳴海は心臓を鷲掴みにされたように絶句した。 間違いない。今朝、自分がローカルPCに退避させたサーバーログの文字列と完全に一致している。
「……存じ上げません。規定により、お電話でのシステム情報の開示はいっさいお断りしております」 鳴海は震える声を殺し、「マニュアル通りの無機質なオペレーター」を装って電話を切ろうとした。だが、本多の次の言葉が鳴海の指を凍りつかせた。
「そう言うと思ったよ。さっきウチの所轄が念のためそっちの公式窓口に連絡したら、「今朝の緊急パッチ適用により、当該ログは消失した」と突っぱねられたそうだな』 「!」 『事故直後の、ピンポイントな証拠隠滅。警察を舐めるなよ。今すぐ令状を取って、そのパッチを当てた担当者の名前を引っ張り出し、「殺人幇助」でしょっ引くこともできるんだぞ』
嫌な汗が、首筋から背中へと一気に流れ落ちた。 今朝、課長に急かされてパッチを当てたのは俺だ。操作ログには俺のIDがくっきりと残っている。
「(……まさか、会社は最初から俺に責任を被せる気だったのか?)」 鳴海は悟った。もしこのまま警察の公式な捜査が入れば、グローバル・ノブナガという巨大企業は「末端の社員が勝手にやった作業ミスだ」と切り捨ててくるに決まっている。俺は、サイバーテロの主犯格として人生を終わらせられる。
『だが、そんな手続きで会社と揉めている間に、真犯人に逃げられるのは御免だ。私はホシが欲しい。あんたたち会社側の不祥事なんかどうでもいい」 本多は低い声で、悪魔のような取引を持ちかけてきた。 「担当者の首を大人しく差し出すか。それとも、今すぐ裏から「本当のログ」を私に渡すか。選べ」
鳴海は強く唇を噛んだ。 関わりたくない。だが、ここで彼女を突っぱねて公式の捜査が始まれば、自分の平穏な人生は完全に終わる。自分の身を守るには、この厄介な女刑事に真犯人を捕まえさせ、自分がパッチを当てた事実ごと闇に葬ってもらうしかなかった。
「……本多刑事」 数秒の沈黙の後、鳴海は極めて事務的なトーンで口を開いた。 「規定によりお答えはできませんが、大容量の画像データ等の『提供』を受け付けるための、一時的なアップロード専用ポートのご用意はございます。今から言うIPアドレスをブラウザに入力し、そちらの現場の写真を送信してください」
鳴海は手元のキーボードを素早く叩き、自作のダミーサーバーを経由して立ち上げた、暗号化済みのP2PチャットルームのIPアドレスを口頭で読み上げた。 「……繰り返します。これはあくまで『システム外の窓口』です。私の名前も、この会話の記録も一切残りません」 「アップロードを確認次第、検討いたします。失礼いたします」 ガチャリ、と一方的に電話を切る。
鳴海はターミナル画面を切り替え、漆黒の裏チャットルームを開いて待った。 数十秒後。 画面に『Guest_01が接続しました』という無機質な通知が灯った。相手は迷うことなく、鳴海が提示した「裏口(バックドア)」を踏み抜いてきたのだ。
【Guest_01(本多)】 『話の早いやつで助かる。これが現場の証拠だ』
チャット画面に、1枚の画像が転送されてきた。 フロントガラスが粉々に砕け散った凄惨な運転席の写真。その奥、ひび割れたダッシュボードのディスプレイには、たった1行のエラーコードが赤々と表示されていた。
『0xCF (Collision Forced) - Auth: Remote_Override』
サーバー側に残っていたデジタルの「銃弾(ログ)」と、現場の車内に残っていた物理的な「弾痕(エラー表示)」。決して交わるはずのなかった2つの証拠が、今、この匿名の空間で完全にリンクした。
手柄のために令状をチラつかせて脅しをかけた、一匹狼のアナログ刑事。 そして、己の身(保身)のために、警察の公式ルートを潰して裏から手を組んだバックエンドのエンジニア。
交わるはずのない二人の、非公式な共犯関係が結ばれた瞬間だった。